欠点をなくすには 2018.08.24 メンタル 「欠点」「短所」「弱点」「弱み」などを辞書で調べると『不十分なところ。足りないところ。』と出てきます。 一般に「よくないもの」というイメージだろうと思います。 一方、その対義語になるのが「美点」「長所」「強み」など、「いいところ」というイメージですよね。 ところで「あなたの『欠点』と『長所』は何ですか?」と聞かれたら、何と答えるでしょうか? これはなかなか、難しく奥の深い質問だと思うのです。 言葉の感じ方は、育ってくる中でその言葉をどのように投げかけられたかで変わってきます。 たとえば「まじめ」「素直」と言われたら、あなたは嬉しいですか? それとも嫌だなと感じますか? 「まじめで信頼できる」 「素直でかわいい」 なんて親や教師、同級生に言われて育ったら、「まじめ」「素直」はその人にとっては嬉しい言葉になります。 けれど 「ホント、まじめだよね。もう少し砕けりゃいいのに」 「良くも悪くも素直すぎでしょ」 なんて言われて育てば、それは嬉しくない意味をもつ言葉になるのです。 嬉しくない意味の言葉は、そのまま自分の欠点として認識されます。 今回は、『欠点と長所の関係性』についてのお話です。 * * * 小中高大、社会人のはじめまで、「まじめ」「素直」は私にとって嬉しくない言葉でした。 学生時代、同年代の子たちからかけられる「真面目」という言葉は、あまりいい意味で使われている感じがしなかったから。 『真面目=つまらない』という意味で言われていたり、優等生に向けた皮肉のように言われていたり。 …と、私は感じてしまっていたのです。 「素直」も同じで、「本当に、良くも悪くも素直なんだから」と身近な大人に言われることで、「素直」はよくないことなのだと思うようになりました。 けれどその「まじめ」「素直」という言葉に対する印象が変わった出来事があったのです。 それが、カラーセラピーで初めて泣かされた日のことでした。 TCカラーセラピーの前身である、100本の二層ボトル。 そのレッスン中に私が選んだのは、クリア×インディゴのボトルでした。 肩に力が入りすぎて、ちょうど「がんばらなきゃ、がんばらなきゃ」と思っていた頃。 セッション練習を通して私の心が解れてきたときに、先生がひとこと仰ったのです。 「とっても素直なのね」 その瞬間、私は自分の中で『素直』に対する認識が180度転換するのを感じました。 素直って、悪いことじゃないんだ。 私、素直でいていいのかも。 自分の欠点だと思っていたものが、実は長所だった! そう気づいた瞬間でした。 ボロっと涙がこぼれたことを覚えています。 だから今、私は「まじめ」や「素直」をいい意味で使うし、相手にもいい意味で伝えています。 けれど世界はそれだけで終わらせてくれなくいんですね。 今度は、その長所が弱点として表れるようになるのです。 私は基本的に、何でも「素直に、まじめに」やります。 言われたことはすぐ実行。 「素直」「まじめ」を認めて受け入れた私は、それでいいと思っていました。 でも世の中は、素直にやったからって、まじめにやったからって必ずしも問題なくうまくいくわけではありません。 時には、その素直さや真面目さを逆手にとられて、シンドイ思いをすることもあるわけです。 「素直」や「まじめ」そのものはいいことです。 だから最後の最後にはハッピーエンドかもしれません。 けれどその過程は、素直ゆえ、まじめ故に必要以上に背負ってしまうことがあるのです。 人間というのは、実にシンプルで複雑な生き物です。 心の動きひとつでものの見方は180度変わるし、行動も激変します。 自分の欠点だと思っているものは長所かもしれないし、長所は弱点かもしれないのです。 でもそれは自分が持っているもの。 だから、それとどう向き合うか。 どうつきあっていくか。 そしてどう掘り下げて、自分の根底に眠っているものから気づきを得て1段レベルアップしていくか。 そこがポイントになるし、おそらく人生はその繰り返しなのだろうと思います。 しんどくて目を背けたくなったり、言い訳したくなったり、そんな日もあるかもしれない。 けれど、向き合った人だけが手に入れられるものがあると、私は思うのです。 しんどくなったらね、まわりに助けてもらえばいい。 「助けて」って言ったらいいのです。 欠点や弱点は、何かに気づくためのギフトであって、自分を否定するための材料ではないから。 メンタル心理学, 長所と短所, 欠点を受け入れる, 弱点とは 「こんなに尽くしているのに!」 第1回 スクール生限定 ランチ会 終了