10.カラーセラピスト養成講座で、日本縦断【ひろ’s Colorful Life10】 2018.07.05 伊藤裕子について お仕事大好き! 家計はそんな感じで大変だったのですが、やっぱり私はお仕事が大好き。 札幌で参加していた多言語活動にて、私はこんなお決まりのフレーズを言っていました。 「こんにちは。伊藤裕子です。札幌市中央区、北海道神宮の近くに住んでいます。 家族は夫と私の2人。好きなものは仕事、嫌いなものはタバコです。どうぞよろしく」 さて、似合う色を見つける『パーソナルカラー診断』。 出会ったのは、高校生のときでした。 診断を受けてきた母がとても楽しそうで。 「大学生になったらね」と言っていたのですが、タイミング悪く機会が訪れなかったので、自分で学んでプロになってしまいました(笑) 学んでいたとき、私は2人の講師と出会いました。 ひとりめは「伊藤さんは絶対春タイプだよ」と、診断せずに断言。 さらに診断中に大手企業の営業マンが来て「(むこうが大事なの)わかるでしょ?」と、私の診断は途中で終了。 残念ながらその後のフォローもされず… ふたりめは、肌の色や質感、瞳の色、髪の毛の色や量だけでなく、人に伝えている空気感や声のトーン、存在の仕方、性格なども含めトータルな診断をしてくれる先生。 「あんな風になりたくない」と「あんな風になれるんだ」を同時期に見せてもらえたのはとてもラッキー。 どのようにお客様と向き合うべきかをとても考えさせられ、その後の指針にすることができました。 2008年頃 カラーセラピーは色のボトルを使って行うカウンセリングが広く知られています。 私が最初に学んだのは、現・TCカラーセラピーの14本ボトルが練習用として使われていた時代のシステム。 100本の二層ボトルでした。 その後、カナダ式・センセーションカラーセラピーを学び、さらにイギリス式・オーラライトカラーセラピーを。 オーラライトは3rdのティーチャーレベルを学びに名古屋本部まで飛びました。 さらにリビングカラーセラピーも学んだのですが、お客様と向き合っているうちに自分のセッションに限界を感じるようになっていったのです。 そして何か他のものを学ぶ必要があると思い、リュッシャーカラーテストも習得しました。 センセーション オーラライト リビングカラーセラピー リュッシャーカラーテスト それでもやはり、これ以上伸びないと思った私は、視点を変えてコーチングを学ぶことに。 これが大当たりで、セッションの質が深まっただけでなく、学生時代に封印した自分の感覚が実は間違っていなかったのだと気づき、封印していた自分を徐々に取り戻していくことができたのです。 カラーセラピスト養成講座で日本縦断 2009年、TCカラーセラピーが現在の形で誕生。 カラーセラピストとして100本ボトルを学び実践していた私は、黎明期からマスタートレーナーとして参加させていただくことになりました。 けれど、札幌には本部があります。 そこで、私はかねてからやりたいと思っていたことを実行することにしました。 全国で講座を開講する! 札幌だけでなく、東京や稚内、秋田へと飛んで講座開講を始めたのです。 秋田にて初、TCカラーセラピスト〜トレーナー講座開講 2010年春 名古屋・大阪・福岡へ 名古屋でも初! そして夏 札幌から飛行機で南下した私は、 福岡 沖縄 広島 大阪 名古屋 東京 そして札幌へ戻るという、1ヶ月の日本縦断出張をすることになったのです! 懐かしい♡ 超・楽しかった!! みなさん、大好きでした。 元気かな?会いたいな♪ ちなみによく 「本部がサポートしてくれたんですよね?」 「現地にスタッフがいたんですよね?」 「呼んでくれる人がいていいですね」 と言われるのですが、そんなことはなく、主人にサポートしてもらいながらの自力開拓でした。 楽しかった!! その裏で、実は入院してました 時を同じくして2010年夏。 原因不明の病で倒れました。 倒れた7月12日は、なんと全国出張1週間前。 突然の吐き気で目が覚め、嘔吐、発熱、頭痛、めまい、耳鳴り、呼吸困難、全身痙攣、全身麻痺、言語障害etc… 突然のことにどうしていいかわからず、病院に担ぎ込まれたのですが 検査結果:異常無し 原因不明 つまり何もしてもらえないということです。 でも私は、そんなものだろうと思っていました。 何故なら私の体調不良は、14歳の頃からあったことだったから。 激しい動悸と痛みで胸が急に苦しくなって動けなくなっても、病院で数値の異常は発見されない。 すると私には「健康」という診断が下ります。 だからどんなに痛みを訴えても、不調を訴えても、取り合ってもらえない。 医者には「気持ちの問題なんじゃないの?」「はぁ?!俺だって心臓ドキドキってなるし」「何言ってんの?」「あんたがおかしいんじゃないの?」「仕事休めないって、何でだよ」と、頭ごなしに暴言を吐かれまくって20年が経っていたので、私の中に変な慣れと諦めがあったのです。 中学生や高校生女子が、医師という肩書きの成人男性にそんな言い方をされたら、恐怖です。 「通じない」ことだけ上書きされ、自分を責めるクセがついてしまう。 そんなわけで、私の人生において、「体とは痛くて苦しいもの」でした。 「みんな、こんなに痛くて苦しいのに、ひとこともツライと言わずに笑ってるんだ」 「私のガマンが足りないから。私が悪いんだ」 と、20年間本気で思っていたのです。 だから34歳で倒れ、「普通、体は痛くないんだよ」と言われたときは、本当に驚きました。 嘘っ!? みんな、体痛くないの?? それを教えてくれたのは、広島のお医者さんでした。 今はこんなに元気です^^ 出張中、奇跡のように出会った整体師さん。 「その体でよく生きてたね…」 出張を終え、札幌に戻った私は指1本動かせなくなり、人生で唯一、私の体の異常をわかってくれた広島の整体師さんのもとへ飛びました。 その方が、万が一に備えて確保するように勧めてくださったのが、上記のお医者さんです。 はじめて患者の話を正面から聞き、「数値で出なくてもあなたは病気である」と認めてくれる医師との出会いでした。 それから実に3年以上、私は闘病生活を送ることになります。 伊藤裕子について