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幸せのカケラ

幼稚園に1人でチャリ通する5歳児!【ひろ’s Colorful Life1】

人生はいつでもリ・スタートできる

人生を変えたい、
悪くはないけど、もう一歩踏み出したい…

そんなタイミングが人生には何度か訪れます。

突然ですが、私はちょっと変わっているそうです。
「変わっている“そう”」というのは、私にはそれが「普通」だから。

学生の頃は言われるのが苦痛だったその言葉が、いつの頃からか心地よいものになりました。

それはきっと本当の自分を見つけ、他人の価値観に左右されずに自分の魅力や経験、強みやできることを素直に認めて、自信がもてるようになったからだろうと思います。

人生の節目・節目で私の価値観はどんどん変わっていきました。

積み重ねた経験は、私にとっては普通のこと。
けれど単純に、私の常識が他人様にとってはあまりにも非常識でおもしろいのだそうで。

今までもたびたび、人生の節目に棚卸しはしてきましたが、一度、本格的なストーリーを書いてみようと思い立ちました。

「すごい波乱万丈でおもしろい」と思われるのか、「普通じゃん」と思われるのかはわかりません。
けれど13年前、朝起きるのすら恐怖を覚えるほどどん底だったときに出会ったカラーの世界のお話を交えつつ、私の42年の人生をカラフルに振り返ってみたいと思います。

『ひろ’s Colorful Life』おつきあいいただけたら嬉しいです^^

三つ指ついて、ごあいさつ

私は東京・吉祥寺で、両親・祖母・伯母のいる家の第一子として生まれました。
父も、亡くなった祖父も長男で東京とはいえ、実家は本家。

お正月には、ご親戚が集まり、“三つ指ついて、ごあいさつ” というのが当たり前の環境で育ちました。

当たり前ということは、それが特殊なことだとも思わないわけで。
私はおもしろがって祖母の真似をしては、親戚にごあいさつをしていました。

当時、そんな私を母は複雑な思いで見ていたそうです。

日常的に敬語が飛び交う環境だったので、子どもの頃から尊敬語・謙譲語・丁寧語の使い分けは完璧(笑)

そのおかげで学生時代は礼儀作法に厳しかった教授からの評価もよく、社会人になってからも、みんなが苦労する敬語やら電話の応対やらは苦もなくこなすことができました。

けれど私の幼稚園時代は、実はかなり過酷なものだったのです!

野にひとり放たれる

3歳のとき、1年限定の幼稚園に通うことになりました。

週3日のその幼稚園に、私は何故か遅れて入園。
その朝のことは今でも鮮明に覚えています。

慣れた環境でみんなが遊ぶ中、突然知らない空間にひとり放たれる。
私は涙を流さないように…と必死に目を大きく開けて立っていました。

何故だかその後、私はたびたび「すでに出来上がっている空間」に後から入るという状況を多く経験することになります。

大人になってもそれはずっと慣れず、心の底から安心し、信頼できるお友達もなかなかできませんでした。
私にとっては「すでに出来上がっている空間=すでに入り込めない人間関係が存在している」という感じ。

パンツ1枚で、どろんこプール!

年中さんに上がる前、母は私を連れて近くの私立幼稚園の見学に行きました。

『造グループ わんぱく幼稚園』

すごい名前でしょう?
その幼稚園は、その名のとおり、かなりわんぱくな幼稚園でした。

 さあ、プールだ!!

という日。
園庭の土をいきなり掘りだすのです。

で、園庭に川のような溝がぐねぐねできたら…

 水を注げーっ!!

と、ホースで水をはる。
プール=泥の池です。

そして

 脱げ脱げーーーっ!!

と、おもむろに洋服を脱ぎ、パンツ1枚で、どろんこプール。

これが、私の通った幼稚園で見学に行ったその日に目にした光景です。
よくわからないまま、私も脱ぎました。

この写真は服を着ていますが(笑)

幼稚園に1人でチャリ通する5歳児!

わんぱく幼稚園は、本当にいろいろ激しかった。

夏は上半身はだかで、善福寺公園の池のまわりを毎日マラソンします。
幼稚園児にはかなりの距離です。

それが終わったら、竹馬サッカー。
文字どおり、竹馬に乗ってサッカーするんです。

他にも先生お手製の弓矢をしたり、銀杏ひろいをしたり、合宿したり。

この写真は、年少さんのあこがれ。
運動会で年中&年長さんが踊るサスケです。

年長さんになると、その日の隊長さん(当番)が、お弁当のときにお茶を沸かさなくてはいけなくて。
太めの木を見つけてかまどを作り、薪も自分で拾って火をおこすんです。

先生の補助は一切なし。
それどころか、先生、見にも来やしない。
できないと、みんなの前であやまらなくてはいけない。

恐怖でした。

ある日、薪拾いのときに竹柵の先端が太ももにぐっさり刺さり、私は大ケガをしました。
けれど「泣いたら怒られる」から、私はひたすら耐えて耐えて。

身動きできないのに助けを呼ぶこともしなかった私。
自力で脱出し、ダラダラ血を流しながら先生のもとへ。
そして表情ひとつ変えずに、手当てを頼んだのです。

先生は怒鳴るし怒るし怖かった。
とにかく幼稚園に行きたくなくて、私は毎日泣いていました。

なのに年長さんも後半になった頃。
私は幼稚園までバス通りを1人でチャリ通することになるのです!

毎朝、「角!角!バス!信号!信号!」
気をつける場所を母と一緒に唱える。
そして「行ってきます!」

5歳の私は、これを楽しんでいました。
とにかく超自然児で、超野生児な私を育んだのは、まちがいなくあの幼稚園時代の経験だろうと思います。
母はすごいことをさせてくれたな〜と思います。

5歳児が、バス通りをひとりでチャリ通!

「1人で何でもする」とか、「異常なまでのがまん強さ」とか、「助けてって言えない」とかは、この頃身についたのかもしれません。

ちなみに卒園した18年後、私はわんぱくの同級生と同窓会をしました。
15人全員にお手紙を出して、なんと9割近くが大集合!

そしてその場に集まった全員が揃って口にした言葉が「つらかった」「小学校に入ったとき、ぬくぬく育ったやつらに負けたくなかった」でした。

こうして、超自然児・伊藤裕子の根底が築かれたのでした。

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